ボブ・ディラン(75)が、歌手としては初めてノーベル文学賞を受賞した。出生名はロバート・アレン・ツィンマーマン。後に法律上の名前もボブ・ディランに改名した。最初はアコースティックギターを弾くフォークの吟遊詩人として、その後はエレクトリックギターの因習破壊主義者として、そして今はルーツ・ミュージックの重鎮として、50年間以上、人々の心をつかんでいる。
ディランが1960年代半ばに出した反戦歌「With God On Our Side(神が味方)」の鋭い風刺は、彼自身の音楽の中に宗教的信仰のテーマを引き合いに出した一例である。しかし、それまで周辺的だった信仰は、ディランの関心の中心となった。ただ、後の日々に、信仰に関するテーマは再び、ディランの音楽の中ではぼやけてしまう。
ディランの音楽活動はさまざまなテーマを網羅している。60年代初期から半ばにかけて、ディランは反戦活動家であった。75年に発表したアルバム『Blood on the Tracks(血の轍[わだち])』では、離婚に対する思いを率直に表現している。70年代後期、ディランは明確にキリスト教のテーマを含んだ何枚かのアルバムを収録した。これらのアルバムは、ディランが「ボーンアゲン(新生)」した福音的回心の経験後に発売された(ディランは後に、「ボーンアゲン」の部分については否定している)。
79年のアルバム『Slow Train Comming(鈍行列車がやってくる)』を皮切りに、ディランはキリスト教を題材とした3枚のアルバムを発売した。これらのアルバムにより、ディランが新しく見いだした信仰を探求していること、また彼がかなり明確に福音派の信仰を持っていたことが分かる。このアルバムのタイトル曲「Gotta Serve Somebody(誰かに仕えなければ)」は、ポップ・ミュージック史上、信仰の決断への招きに最も近いといわれる歌詞を含んでいた。ディランは、「君は誰かに仕えなくちゃいけない」「それは悪魔かもしれないし、主かもしれない。しかし君は誰かに仕えなくちゃいけない」と歌った。
60年代のカウンターカルチャー(対抗文化)の中心にいた人物にとって、これはかなり異常なことであった。ビートルズのジョン・レノンを思い出してほしい。ディランは彼をよく知っていたが、レノンはビートルズがイエスよりも偉大であるとほのめかすこともあった。レノンはディランの回心に、彼流のやり方で応えた。「Serve Yourself(自分に仕える)」という曲をレコーディングしたのである。
ディランのキリスト教信仰は、ジミー・カーター元米大統領のような信仰者との親しい関係をもたらした。カーター元大統領は「ディランと私は、私が大統領だった頃から親友です。私が最初に彼に会ったのは、彼が深いキリスト教信仰の時代を経験していた時でした」と述べている。
他の2枚のアルバム『Saved(救われた)』(80年)と『Shot of Love(愛の銃撃)』(81年)も、キリスト教のイメージを豊富に含んでいた。ディランのキリスト教3部作は、幅広い支持を受けたわけではなかったが、ノーベル文学賞を受賞するにあたって評価された類の叙情性を多分に含むものであった。音楽的に『Slow Train Comming』はえり抜きの作品であった。しかし、その3部作の中には、伝道集会では場違いではないだろうが、一般向きではない歌詞が含まれている。アルバム名にも冠した曲「Saved」でディランは、「神の恵みによって、僕は触れられた。神の御言葉によって、僕は癒やされた。神の御手によって、僕は解放された。神の御霊によって、僕は証印を押されている」と歌った。
『Shot of Love』までに、曲調は徐々に福音派的ではなくなり、英国の詩人、ウィリアム・ブレイク(1757〜1827)の影響を受けたといわれる曲「Every Grain of Sand(一粒一粒の砂)」(81年)と共に、より神秘的になった。ディランは、「カインのように、僕は今、僕が壊さなきゃいけない幾つもの出来事のこの連鎖を見る」と、ささやくように歌った。「一瞬の猛威に、身震いするあらゆる葉に、あらゆる砂粒に、僕は主の御手を見ることができる」
すぐにディランの音楽は、再びより世俗的なものとなった。80年代はディランにとって、特に有益な創作活動の時期ではなかったが、97年に発表した30枚目のアルバム『Time Out of Mind(昔から)』と共に始まる一連の見事な後期作品によって人気を取り戻した。ディランの音楽は、カントリー、ブルース、ゴスペルの影響と彼の若い時代のフォークを融合し始めた。
高く評価されたアルバム『Tempest(嵐)』(2012年)までに、ディランは何年も前に彼が活用したテーマに戻っていた。収録曲「Narrow Way(狭き道)」でディランは、「それは長い道だ。それは長く、狭き道だ。もし僕が君の所まで行けないなら、君は確かに、いつか僕の所まで来なきゃいけない」と歌った。
最近のディランが、信仰の世界のどこに位置しているかを見極めるのは難しい。クリスマスソングのアルバムを収録したディランは、また若い頃のユダヤ教に戻ったと述べた。ディランはまだ時々、インタビューの中で神への自身の信仰を語ることもある。
明らかなことは、積極的に活動した60年代に、あの時代の若者たちを動かしたディランの叙情性は死に絶えていなかったということである。ディランの50年の活動は世界中の無数の人々に刺激を与えてきた。そしてディランがもはやキリスト教に関する曲を明確に書かないにもかかわらず、彼のキリスト教に関する作品は、いまだにコンサートで演奏されている。
ディランのノーベル文学賞受賞は、ある人々にとっては衝撃を持って受け止められたが、ユダヤ教とキリスト教の伝統に染まり、現代のためにそれを再解釈した1人の男性がノーベル文学賞を受賞したことに、私たちはそう驚くべきではないだろう。